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 「雄飛」の期シリーズ 18
 視覚ゼロからの 挑戦
菅野芳亘(19期生)

 私は昭和43年に夕陽中を卒業後、明星高等学校から岡山理科大学へと進学いたしました。同大を昭和50年に卒業後一旦大阪市内の、某機械設備設計会社を経て、大阪大鉄高等学校に勤務したのですが、岡山からの誘いにより、再び、母校である、加計学園岡山理科大学の付属高校にて教鞭を執らせていただいておりました。教鞭を取りながら、私は、学生時代に習い覚えた少林寺拳法を付属高校はもちろん、岡山理大、順正短大、理大専門学校の各少林寺拳法部の部長、監督として、指導させていただいておりました。各校各部の学生・生徒達の努力により、全ての部が、それぞれ全国大会にて優勝に輝くという華やかな教師生活を順風満帆のごとく勤めさせていただいていたのですが、今から15年前授業を終えて職員室に戻り電話をかけようと受話器を取ってダイヤルを回そうとした瞬間から両眼の視力を失ってしまいました。
 その後も約十年たらずの間ですが、加計学園にて頑張ってまいりましたが、大阪の両親の高齢化に伴い家業を引き継ぐことになり学生時代から数えて二十数年という長い年月を経て、平成7年に全盲となって帰郷した大阪での生活は、浦島太郎の心境そのものでした。父の会社を引き継ぐと共に中国との交流事業に携わることになったことから、それまで以上に読み書きの必要に迫られ晴眼者の時には、さわったことのなかったパソコンを視覚障害者用に開発された音声化ソフトのお陰により四苦八苦の末やっとのことで耳をたよりに何とか操作できるようになり、今では曲りなりではありますが、インターネットにより全国のメール仲間や各種ホームページから多くの情報を頂けるようになれたことをありがたく思っています。
 大阪に戻ってから、白杖歩行の訓練士からの薦めもあって、運動不足の解消にと水泳を始めました。ところが、ついついはまってしまい平成8年には広島にて開催されました身障国体(折り鶴国体)に大阪市選手団の一員として出場させていただけ、背泳ぎ25M金、平泳ぎ25M銀メダルを受賞。平成9年全日本身体障害者水泳選手権大会にて、背泳ぎ25M大会新記録にて、金、平泳ぎ25M大会新記録にて、金メダルを受賞。そして、平成10年9月に行われました、全日本水泳選手権大会では、距離を一気にあげて、平泳ぎ50M大会新記録にて金、背泳ぎ100Mジャパンパラリンピック出場のための標準タイムをクリアーしての金メダルを受賞。同年11月に開催されました、ジャパンパラリンピック(国内最高レベルの水泳競技会にして、パラリンピックや各種国際大会への選手選考会を兼ねる)には、十代二十代に混じってのレースにて、息切れ寸前のおじさんパワーを振り絞り、背泳ぎ100Mに挑戦し、やっとの思いで金メダル手にすることができました。
 その後も家族や仲間たちの温かい支援のもと、自己の残された能力と可能性を確認するために今日まで、無我夢中にて過ごしてまいりました。
 そんな中、昨年、幸いにも19期の世話人の方から、同窓会への出席へのお話を承り、当日は、祝賀会会場のホテルアウィーナに二〇〇余名の同窓生が集まり、実に懐かしい声をたくさん聞かせていただきました。顔や姿の変わりようの解らない私には、どの声も昔のままの顔を思い出させていただける本当に、懐かしい声ばかりでした。
 私は、視力を失い、第二の人生を前向きに生きていきたいと願い、新しい仕事に、スポーツにと、今、手探りではありますが、がむしゃらに取り組んでいます。私を支え励ましてくれる家族や仲間達に「自立」という二字で応えたいから。私には、見える世界は閉ざされてしまいましたが、全身で感じる新しい世界を開拓して仲間達と共に楽しみたいと願っています。できないと思う前に、チャレンジしてみることだということを私は視力を失うことにより学び教わりました。少林寺憲法こそ出来なくなりましたが、帰阪後、水泳をはじめスキーやボーリングなどに、挑戦することにより、私に残された四感を楽しみながら磨きをかけたいと願っています。
 今は、昨年4月から、生まれてはじめて習いだしたゴルフに、はまってしまい、白杖をクラブに持ち替えて周りの迷惑も顧みず振り回しています。事実、本人は、見えないのですから、周りはあきらめているのかな?
 昨年(平成11年)の全国障害者体育大会・ハートフル熊本大会の開催を機に、熊本での全国視覚障害者ゴルフ熊本オープンが二〇〇〇年3月5日・6日、開催され、OBG(大阪ブライダルゴルファーズ協会)の選手達の尾ひれの端に加えて頂き、また、新しい世界を覗いて参りました。
 仕事では福祉・教育・中国諸事情などをテーマとした講演活動や、ツアーの企画の一つとして昨年(平成11年)7月に、中国内モンゴル自治区の大草原とゴビ砂漠へ、訪中団を引率してまいりました。見えない事への一つ一つの克服が、私のこれからの人生だとやっと最近少し思えるようになれありがたく感じられるようになりました。
 今年の5月の連休明けからは、大阪学院大学へ、臨時講師ではありますが前期と後期に数時限、「教師論」と言うことで授業をもたせていただけることになり、白杖と共に出向いてまいります。突然に訪れた盲目という落とし穴に、一旦は、無念にしてあきらめた教職ではありましたが、この度、お声を掛けて頂けチャンスを頂けたことを幸いと慶び、未だに教師根性の抜けない私の教師再起への道へと繋がればと内心願っています。
 読み書きをパソコンに、歩行を白杖と皆様の手引きにすがってではありますが、お陰様で、また、夢を描くことが出来るかな?と思っています。共に、これからも友として人生を楽しめたらと願います。どうぞ、宜しく。
 ただ今、来年の早春に予定しています出版のために耳を頼りにパソコンのキーをたたいています。完成の暁には、ご一読頂ければ幸いです。どうか、宜しくお願いします。

株式会社 オリエンタルプロセス
http://www.orientalprocess.com/index.html

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